どうしようもない私がドイツで生活し始めてしまった話②
思い返すと無謀な事ばかりしてました
海外で暮らしてみたい、という強い欲求に突き動かされて何も考えずに日本を飛び出してしまった私。この先どうなるか全く不透明だったけれど、不思議とあまり不安はなかった。たった2年程前の事だけれども、今思うと怖いもの知らずだったと思う。だって現地の言葉は話せないし(英語は日常会話程度は出来たけど)’’これ’’ と言った明確なプランも無かったのだから。
どうしてかは上手く説明は出来ないけれど、とにかく’’異文化の中で生活してみたい’’ ‘’外から日本を見てみたい’’という欲求が非常に強かったのだと思う。
何がともあれベルリンに来ちゃった
日本で家族や友人達にお別れを言って、飛行機に乗ると、何とも言えない不思議な気持ちがした。トルコのイスタンブールを経由してベルリンに着くと、兄夫婦が迎えに来てくれていた。やれやれ、とほっとした。
それまでずっと実家暮らしだった私にとって、それが始めて親元を離れて暮らす事になった。始めはとても面白かった。なにしろどこに行っても新鮮、全てが新しいのだ。
呑気な私だったが、ちょっと焦り始めた..
しかし少しすると、兄夫婦と彼らの友人以外全く友達がいないので、何とも言えない寂しい気持ちになった。語学学校に行けばきっと友達が出来るであろうと思っていたので、すぐにでも通いたかったのだけれども、行きたかった公立の語学学校は何と2ヶ月半程先まで空きが無かったので仕方なくそれまで待つ事にした。今思えば、安い私立の学校でも探して行けば良かったと思う。
この点から見ても私は本当に無計画なのである。日本にいた時も無計画な人生を送っていたのだけれど、自分の国だとどうにかなってしまっていた。しかも実家暮らしだったので、さらにどうにかなってしまっていたのだ。
生温い環境だと気付かなかった事
新しい生活を求めてドイツに行ったのだけれど、そこで私は自分が如何に先の事をきちんと考えない人間かと言う事を思い知った。ドイツに来るまで私は、きちんと物事を考えるという行為を恐らくした事がなかったのだ。よく考えると非常に危険で恐ろしい事である。それまで日本で私が暮らしていた環境が甘えられる条件がバッチリ揃っていたのだ。そのまま日本にいたら、私の場合は本当に考えるという事をしなかったと思う。
無鉄砲だったけれど、それまでいた環境から飛び出して本当に良かったと思う。
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