Manablick

オーストリアのビオワイン農家に嫁いだ元ピアノ講師、高田マナのブログ

*

ピアノ講師をしていた私がドイツで園芸を学ぶ様になった経由と現在の私の価値観

      2017/06/08

3年前の今頃、私はまだ日本にいました。そしてピアノ講師として働いてました。下は4歳から、上は70代までの生徒を多い時では30人程抱えておりました。3年経った今、私はドイツで園芸の見習いをしています。3年前は想像もつかなかった事です。

当初はドイツで大学に行きたいと思って行った

私は日本の音大を卒業して、卒業後すぐにピアノ講師として働き始めました。生徒の数も段々増え始め、生徒達にも懐かれて充実していた日々でした。しかしある時から「どうしても海外で暮らしてみたい。」という気持ちが強くなりました。なんでかと言われても、とにかく試してみたかったんです。明確な理由というよりも衝動に近かったと思います。

↓今では嘘みたいだけど、本当にピアノ弾いてました。

海外ですぐに仕事を見つけるのは難しいだろうと思っていたので、まずは留学しようと思いました。たまたま私の兄夫婦がベルリンに移住したので、2013年に一度遊びに行きました。ベルリンの事は全然と言って良い程知りませんでしたが、すぐに気に入りました。しかもベルリンの大学は費用がただに近いという事も知り、これはもうドイツに行くしか無いと決意した訳です。そして2014年の秋にワーキングホリデーのビザを利用してドイツはベルリンに飛びました。

ドイツに渡って直ぐは、特になにもせずに観光したり、兄達と一緒に引っ越しをしたり、とにかくのんびりと過ごしていたんです。でもこの先どうするか、という明確なプランが私にはありませんでした。ベルリンの音大を受験するのも、ドイツ語のレベルが最低でもB2なくてはならないけど、当時の私のドイツ語レベルはほぼゼロ。兄達に相談にも乗ってもらい、このままうだうだしてても仕方ないので、出来る限りの事はやってみようという事になり、すぐに受験する事に決めました。すぐに、というのは私が行きたいと思っていた大学は夏のセメスターから始まる学校だったので、受験の締め切りは3月でした。受験しようと決意したのが、12月だったのでそれから大急ぎで準備しました。まずはドイツ語は最低でもA2までは合格しなくてはと思い、語学学校に行き始めてから間もなかったのですが無理矢理A2のテストを受け、詰め込んで勉強したかいがあり何とかこれは合格。そして音源の制作。一次試験は音源の提出だったんです。3月までやりきって、音源も提出して、あとは結果待つのみとなりました。

明確なプランが無かった私は、次の年に受験するのでも良いかなと思ったりもしていました。でもそれでは怠け過ぎだと思ったのです。

なかなか結果が分からなかった。

一次試験が通ったかどうかは、おそらく一週間くらいで分かるかなと思っていたんです。でも一週間経とうが、10日経とうが、2週間経とうが結果が発表されない。困った困った..と、何も手に付かない状態になってしまいました。

でもそこでおかしいと思ったんです。試験の準備をしている時、つまり音源を制作してる時もひたすら苦しかったんです。もっと上手くならなくちゃ、とか、なんか自分を急き立てにとやる気が出なかったんですね。でもそんな音楽を一体誰が聞きたいだろうかと。音楽をしたくてしたくて仕方ない人は沢山いるのに、私は一体何なんだと。幸い私の兄夫婦は音楽家では無いけれど、イラストレーターなので、音楽とも近い部分があり、色々相談に乗ってもらいました。そして気付いたのは「この私の緩いモチベーションでは、音楽で飯を食って行くのは難しい。」という事でした。それまで暫く音楽しかやって来なかった私にとって、音楽じゃない道に進むというのはかなり大きな決断でした。音楽教室の生徒や親御さんには「ドイツで音楽を学ぶため留学するので、先生やめます!」と宣言までしたと言うのに。いやはや..他人に顔向け出来ない。音楽やっぱりやめました。なんていうのも、なんだか格好悪い。とか色々思ったのですが、兄に言われた一言で吹っ切れました。それは「大丈夫だよ。誰も期待してないから。」と。ちょっと何を言う!と思ったりもしましたが、確かにそうだなあと。他人に何か言われるのを気にして、自分の人生のを決めるなんてもったいなさすぎる。しかも確かに他の人が何と言おうと、他人はあくまで他人。私が何をしようと、その人には関係ないしどうだって良いはずな訳です。という訳で、試験の結果待ちをしている間に「音楽家になる事を志す事をやめる」という、結構大きな決断をしたのでした。

そしてその決断をして、忘れていた頃に一次試験の結果が郵送で送られてきました。結果は不合格でした。一次くらいは通るんじゃないかと思っていたけど、やはり甘かったなと思いました。音楽をやめるという決断をした後でも、不合格の通知を見てやはり少し落ち込みました。でも音楽をやめようなんて思ってなかったら、恐らく結構な精神的ダメージを受けていた思います。

音楽をやめる決断をして、この先どうしたら良いか考えた

ドイツに来てから丁度半年経った頃に、この決断をしました。それまでは一応’’音大受験生”という肩書きがあったのですが、音楽を志すのをやめてからその肩書きもなくなりました。そもそも高校も音楽科に通っていた私としては「ああ、一体私はいままで何をしてきたんだろうか。」と大きな無力感に襲われました。それと同時にほっとした気持ちもあったのは確かです。音楽をやり続けてこの先の人生を送って行く事に漠然とした不安をいつも抱えていたんです。それは私がそんな漠然とした不安なんかもとっぱらってしまう程の強い熱意が無かったからなんだろうと、今なら思います。

確か一週間程だったと思いますが、音楽をやめるという決断を下してから、その次なにをやるかの答えがでたのは。大きな決断をしたくせに、結構早くに何をしたいかが決まりました。何故かと言うと、それまでもずっと好きだったものがあったからです。昔から私の趣味は園芸でした。そしてドイツが好きな理由は、緑が沢山あるからという事に気がついたんです。これはもう、植物関連の仕事をするしかないと、自分の中で納得しました。

ネットで植物関連の仕事ってどんなものがあるのかを調べ、そして今の私の職業”Zierpflanzenbau”を見つけました。Zierpfllanzenとは観賞用植物の事です。Zierpflanzenbauとは観賞用植物を生産する職業です。どうやって今の職場で、実習生として働ける様になったかは、以前のブログで紹介していますので、興味があったらそちらを見て見て下さい。

面接→2週間のお試し体験を経て現在の会社で実習生として働く事に

ドイツに来てほぼ1年後の2015年の9月。私は実習生としてドイツはベルリンからそれほど遠くないポツダム郊外の園芸センターで実習生として働ける事になりました。これでめでたしめでたし。ではなかった。

仕事が始まり、職業訓練学校も始まり、新しい街での新しい生活が始まり..。働きたい場所で働ける様になって、住みたい街に住める事になって本当に良かったののですが、相変わらず「この先どうしよう」という悩みはずっとくっ付いて来たままだったのです。この実習自体は3年間続く。じゃあその3年たった後は?っていうか、3年間どうやって過ごそう。っていうのも、思ったより↓

  • 仕事がキツい
  • ドイツ語が出来なすぎてもっと勉強しないとヤバい
  • ドイツ語で専門知識を学ばなくてはいけない
  • 勉強するにも仕事するにも、もっと体力も必要
  • そもそも明確な目標がないとモチベーションも持てない

っていう新たな悩みが出て来たんですね。実習生として働ける様になったんだから、とにかく3年がんばれば良いじゃないか!と自分でも思っていたのですが、なんとなくモヤモヤしていたんです。っていうのも、私の仕事は体力仕事です。同僚は植物の知識に関してもちろんプロです。マイスターなんて特にそうですが。しかし単調作業も多いんですね。なんていうか、この仕事自体に「人生をかけたやりがい」は見いだせなかったんです。今は実習生として何もかも新しい事だらけで新鮮で良い。でもその後、私も他の同僚の様に働くのだろうか?彼らは誇りを持って仕事をしているが、仕事に人生かけてるっていう感じもしない。私は自分の人生と仕事をどう位置付けて行けば良いんだろう。そんな悩みが結構長く続きました。そう、結構長く続いたんです。だって色々と吹っ切れたのは最近なのですから。

何を目的に仕事をするか、私にとって今の仕事をする意義って何か

私の同僚、または同僚以外にも私の周りには「仕事は仕事、人生の目的は仕事以外の自由時間にある」という価値観の人が結構多いのです。今まで音楽をやってきたせいか、あまりその様な人は周りにいなかったので「こういう考えもありなのかな。」と思った時期もありました。だってそういう同僚や知人達だって仕事をしてる時は非常に真面目で、その道ではプロなのです。だから私もそうであっても良いのかもしれないと、思ったのです。

でも段々それでは先程の悩みのモヤモヤは取れませんでした。それでは私は満足出来ないと気付いたのです。じゃあどうしたら良いかと色々と考えた結果、私にしか出来ない何かをするべきであると気付いたのです。

私だから出来る事をやりたいって思ってから、毎日が凄く楽しい

自分の状況をもう一度よく見てみると

  • 30歳間近、ドイツにて園芸の実習生
  • ピアノ講師やってたのに、今は全然違う事を学んでいる
  • 同僚やクラスメイトはドイツ人ばかり。つまり日本人でこういう事学んでる人って稀だよね?

という感じでしょうか。

話はちょっと逸れるけど、多様性って大事で世間の目をきにしてばかりなんて、もったいと思う

まあ年はどうでも良いんですけれど、日本の同年代の友人達は結婚してる人も多数。又は結婚を焦っていたり..もちろんそうじゃない人もいます。結婚は結婚で本人達が良けれとても良いと思うんです。私は兄が二人いますが、二人とも結婚して子どももいます。兄達を見てると、子育ては大変そうだけど、幸せそうで良いなと思ったりもします。一方知り合い、友人の中には結婚を焦ってる、そしてそれがストレスになってる人もいます。ドイツって大学の学費が安いせいか、30歳近くになっても大学に行ってる人も結構います。それから私の様に30歳近くになって新しくAusbildungを始めたクラスメイトもいます。人それぞれ人生に求めいている事は違う訳だから、同調圧力なんて目に見えないものに怯えて、本当に自分の人生でやるべき事を考えないのは、本当にもったいないと、幾人かの友人を見て思ってきました。

幸いにも私は家族の影響か、自由な(自由すぎるかな)価値観を持って生きていられる事は本当にラッキーだと思っています。そして更には日本でやっていた事と全く違う事を異国で学ぶ機会を与えられて(正直色々大変な事は確かに多いですが)更にラッキーだと思っています。誰が何と言おうと、私は今の状況に満足しています。

何をやりたいか、はっきりしてから毎日更に充実してきた

そしてこの貴重な体験を毎日楽しむだけじゃなくて、自分が体験した事、学んだ事を少しでもこうやってブログを通して発信していきたいと思ったんです。私は日本人でだからこそドイツ人と比べて語学の面で苦労していますが、それを活かせるんじゃないかと思ったんです。ハンデである語学を、日本語を使わなくては、と。

私は植物が好きな故に環境問題にも興味があります。ドイツは環境問題にも積極的に取り組んでいる国です。そのような国で植物の事を学べる事がとても嬉しく、そして環境問題に特化した園芸関係や様々な植物の事についてブログで発信していきたい、という事が仕事をする上でも、勉強する際にも大きなモチベーションになっています。その為には自分がまず学ばなくてはいけませんからね。仕事をしてる際にも「これブログに書けるかも」と思うと、例え単調作業でも楽しくなるんです。仕事キツい、つまんない。とかじゃなくて、第三者の目でいつもの仕事場を見ると、いつもと違って新鮮に見えるのです。

無駄が無かったと感じられる様になった

仕事に意義を見いだせるまで、Ausbildungを始めてからも私の気持ちはふらふらとしている所がありました。そして、良く後悔もしていました。何を後悔してたかって、音楽をどうせやめるならば、何故もっと早くやめなかったのか。何故音大に行ったのか、など。

しかし最近ピアノも自分の生活の中で再び必要なものとなったのです。好きな事を勉強出来るって本当に幸せです。でもやっぱり語学の面でストレスは溜まります。くそお、日本語だったらパパッと理解出来るのに..。そんな時ピアノを弾くと、すっきりするんです。音楽やってた時より、今の方がピアノが数倍楽しい。これはたまたま私の通ってるBerufsschule(職業訓練学校)に何故か誰も使ってない電子ピアノがあって、以前ピアノ講師をしていた事を知っている先生が「いつでも使っていいわよ」と言ってくれたのがきっかけでした。更に「こんど聴かせてちょうだいね。難しいのなんて弾かなくていいのよ。好きな曲を弾いてくれれば。」と言われてしまったので、これは練習しない訳にはいかなくなってしまったんです。それで定期的に練習を再開し始めたら、とても自分のメンタルにも良い事に気付いたんです。上手くストレス発散が出来るのです。

まとめ:何が自分にとって幸せかを気付く事が大事

これは最近気付いた事です。何が自分にとって大事か、何をしている時が満足するのかというのをちゃんと知る事は大事です。当たり前の事ですけどね。私は昔から家で一人で花の世話をしたり、本を読んだり日記を書いたりする事が好きでした。そう言う事をしている時間がとても心地が良かったのです。でも周りに「付き合いが悪い」「友達をもっと作って外に出るべきだ」などと言われたりして、そういうもんだろうか..と思って、一人が好きな自分をなかなか認める事が出来ませんでした。何で私は内向きで、大勢の人とわいわいする事を楽しめないんだろう。きっと気が小さくて引っ込み思案だからだ。この部分を変えなくてはいけないと思っていました。でも、どうしてもその部分が変わらない事に気がついたのです。だからと言って友達が大事じゃない訳じゃないんです。これは海外生活をする様になってより思うのですが、人と人との繋がりは大事だと思います。でも無理をしてまでいつも誰かとつるむ必要もないのです。外交的にならなくてはいけないと長年苦しんで来たのですが、もう苦しむ必要も無い事に気付いたのです。やっと自分を受け入れる事が出来たんだと思います。

この間母と電話(スカイプ経由で)をしていて「あんた、何回も何回も幸せって言ってるよ。良いね。」と驚かれました。確かに無意識の内に「仕事が楽しい。ドイツ語が少しずつ上達して嬉しい。毎日幸せ。」と、幸せだとか嬉しいとかを連発していました。

好きな事をして、好きな物に囲まれて、そして更には社会に何か貢献できたら更に幸せだなあ。でもきっと何か私に出来る事があるはずだから、だからこのまま悩みながらも仕事と勉強に励まなくては。ああ、幸せだ。また言っちゃった。

 

 

 - Ausbildung, Berufsschule, ドイツ語, ワーホリ, 人生, 環境保護, 自然

Comment

  1. yuki より:

    初めまして。コメント失礼します。
    検索でたまたま上の方に上がってきたので拝見いたしました。
    いま私が悩んでいる事や感じていることがまるで全て同じで、凄く共感したのでメッセージを書いております。わたしは現在日本の音大を卒業したばかりです。日本で音楽講師をしたり他の仕事をしたりしてドイツ留学を視野に入れています。幼い頃からずっと音楽を続ける事に迷いはありませんでしたが、最近自分の音楽観や将来について本当にドイツに行くことが正解なのかどうか不安になり、色々模索中でした。落ち込む日々でしたが、こちらのブログを拝見して少し未来が明るく感じました。ありがとうございます。
    突然のコメント失礼いたしました。

  2. manatakata より:

    yukiさん
    ブログにコメントをありがとうございました。レスが遅くなってしまってすみませんでした。
    yukiさんは音大を卒業されたばかりなのですね。おめでとうございます。
    私も大学を卒業した後は、ピアノ講師として働いていました。今は全く違う事をしていますが、当時ピアノ講師として働いていたのは、今となっては良い思い出です。
    ドイツへの留学への準備、頑張ってくださいね。色々悩むことも音楽をやってるとあると思いますが、良い道が開かれると良いですね!

manatakata へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


  関連記事

寒すぎて、忙しすぎる今年の春

寒すぎて、忙しすぎる今年の春 最後にいつブログを更新したのかを全く覚えていない程 …

ドイツ外人局との奮闘記:最終章

ドイツ外人局との奮闘記:最終章   久しぶりのビザについてのブログです …

どうしようもない私がドイツで生活し始めてしまった話①

2014年の秋、私はワーホリを使ってドイツに渡った。ドイツ語はほとんど喋れなかっ …

no image
Ausbildung/Berufsschuleでの授業内容を紹介:社会科編 ①

Berufsschuleの授業内容を紹介   具体的に授業でどのような …

近況!最近の事色々

今年はブログをなるべく更新しようと宣言したものの、前回の投稿からかなり時間がたっ …

no image
園芸のAusbildungをしてます!ーどのようにしてAzubiになったのか①

私がAzubi(アズビ)になるまで   今回はどうやって今の仕事場を見 …

園芸のAusbildungをしています〜今月から二年生になりました!

今月で二年生になりました!   早いものでAusbildungを始めて …

音楽と私との新しい関係

小さな図書室には会議室の様に机と椅子が並べられてあり、壁一面にぐるりと部屋いっぱ …

2018年のイースターに寄せて

オーストリアにもやっと暖かい春がやってきました。アーモンドの花が咲き始め、様々な …

オーストリアへ来た経緯〜ホイリゲへ嫁ぎました

オーストリアに引っ越してから約一ヶ月が経ちました。この一ヶ月の中で起こった一番大 …